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名古屋高等裁判所 昭和44年(う)34号 判決

本店所在地

岐阜市長森北一色一、八五四番地の一

株式会社かんぜん

右代表者代表取締役

棚橋富夫

本籍並びに住居

岐阜市長森北一色一、八六九番地の一

会社員

棚橋富夫

大正九年二月二〇日生

右被告人両名に対する法人税法違反被告事件につき、岐阜地方裁判所が昭和四三年一一月三〇日言い渡した有罪判決に対し、各被告人から、それぞれ適法な控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官船越信勝出席のうえ、審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人両名の平等負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人石原金三作成名義の控訴趣意書(ただし当審第一回公判における弁護人の陳述参照)に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意第一点、事実誤認の論旨について。

第一  所論は、原判決が、その「弁護人の主張に対する判断」の項一の(五)において、被告人棚橋富夫(以下単に被告人と略称)が、被告人株式会社かんぜん(昭和二九年四月一四日、株式会社完全出し子製作所として設立され、昭和四〇年九月一五日、株式会社かんぜんと商号変更―以下単に被告人会社と略称)設立当時に持ち込み、設立後回収されて被告人会社の資産中に混入されている被告人個人の貸付金及び売掛金につき回収後に発生した預金利息に関し、「これら被告人個人の貸付金及び売掛金は、その入金に当って、被告人会社のそれと峻別され、明らかに被告人個人のものとして預金されたものでなく、被告人会社のいわゆる裏取引による入金等と共に被告人会社の預金に混在しているものであって、その入金時の事情を考えると、被告人が、被告人会社設立後、個人として営業していたという形跡がないこと、各預金の入出金状況などから、右貸付金、売掛金の回収後、右金員は直ちに被告人会社の運用に委されていたと認められ、且つ、この運用を委ねた原因(たとえば消費貸借)は全く不明であるから、被告人が被告人会社の代表者もしくは代表者でなくとも、その経営の専権者であり、被告人会社は、むしろ被告人の個人企業に類するともいえる実情であったことなどを考えれば、これらの貸付金あるいは売掛金回収後の預金利息は、一応被告人個人に帰属しないものと見るのが事理の真相に合すると思われる」旨判示しているが、右は個人と法人とを同一視する議論であって、法人は一定の資本を元手として事業を営むものであり、資本以外の元手は、あり得ない。そして事業に必要な元手は、これを借り受けるか、贈与を受けるか、もしくは、これらの拡大再生産されたものであって、何らの原因なしに事業の元手となるものはない。被告人会社が設立せられた際、被告人の預金、現金、不動産、動産が被告人会社の事業に使用されたのは、被告人会社がこれを借り入れたのであって、全証拠を以てしても、被告人から被告人会社に対し、これらが贈与されたものと認めることはできない。国税当局も、被告人が持ち込んだ被告人個人の預金一九、三四八、八二一円に対する発生利息は、被告人個人に帰属することを認容しているのであって、被告人個人の貸付金、売掛金についても同様であるべく、被告人会社設立後、これが回収され、被告人会社の資産(裏預金)と混在するに至った場合、発生利息を被告人個人に帰属せしめるのは自明のことであり、その元本のみが被告人に帰属し、その果実たる発生利息は被告人会社に帰属するというが如き不合理且つ矛盾のある結論は、とうてい是認できない、と主張する(控訴趣意第一点、(一)、(二)参照)。

然しながら、原判決の挙示する証拠、特に被告人の検察官に対する昭和三六年五月一日付、同年五月三日付、同年五月四日付、同年五月八日付各供述調書によれば、被告人会社設立当時、同会社に持ち込まれ、同会社設立後回収された被告人個人の貸付金は二、四六〇、〇〇〇円(原判決が二、五五〇、〇〇〇円としているのは誤算である)、売掛金は一〇、八三三、一一〇円であって、これらは、いずれも直ちに被告人会社の運用に委ねられ、同会社のいわゆる裏取引による入金等と共に、その預金に混在したものであること、被告人は、被告人会社を設立したとき、それ以前の個人営業時代に所有していた被告人の個人財産を、右会社につぎ込んで営業を継続して来たもので、同会社の払込資本金の大半も、被告人の出資にかかり、同会社は、事実上、被告人の個人経営も同然であったこと、従って被告人は、被告人会社の経営に当っても、個人資産と会社資産とを区別することなく、その必要も感じなかったので、同会社設立以来、被告人の個人資産を被告人会社において利用することに対し、利息その他の代償を受けたこともなければ、そのような契約その他の取り決めをしたこともなく、被告人としては、そのようなことを考えたこともなかったことをそれぞれ認めることができる。右各認定事実に加え、前記各証拠及び当審公判廷における被告人の供述によれば、被告人は、被告人会社設立以後、個人として全く営業をしていないのであるから、被告人会社が、被告人個人に帰属する貸付金及び売掛金の回収された分の各金員を、その事業運営に使用しても、これに関し、被告人会社と被告人との間に何らの特約が認められない本件である以上、被告人会社としては、右各金員の使用の対価として、被告人に対し利息を支払うべき義務がなく、従って、右各金員について生じた預金利息が被告人会社に帰属するものと解すべきことは、原判示のとおりであって、原判決に、この点に関し、所論の如き事実の誤認は存しない。

第二  所論は、原判決が、その「弁護人の主張に対する判断」の項一の(七)において、被告人が、その所有にかかる岐阜市長森北一色一、九六六の二及び四所在の木造亜鉛鉄板葺一部二階倉庫一棟を、被告人会社設立と同時に同会社に使用させて来た事実を認めながら、被告人会社と被告人との間において、右建物に関し賃貸借契約が結ばれ、その貸料についての取決めがあった形跡が認められないとして、右建物の賃料相当額を、被告人会社から被告人個人に支払われるべきものとして計上することを認めなかったのは失当である。被告人会社の右倉庫の使用は、法人が所得を得るために要する設備の使用であって、一般管理費として費用を要するものである。被告人と被告人会社との間には、被告人が被告人会社の代表取締役であった関係上、明示の賃貸借契約はなかったが、被告人としては、これを無償で使用させる意思表示をしたこともない。被告人は、もっぱら被告人会社の収益を得るために、同会社に対し右倉庫を使用させたものであって、同倉庫に対する賃貸料は、当事者の意思にかかわらず、客観的に妥当な金額が確定できるのであり、法人に所得のある場合には、妥当な金額(右倉庫の場合にあっては一ケ月二五、〇〇〇円)によって清算すべきものとすることは、全く当時者の真意に合致し、且つ合理的であると主張する(控訴趣意第一点、(三)参照)。

然しながら、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人と被告人会社との間に、所論倉庫の賃貸借に関し、明示にせよ、黙示にせよ、契約が結ばれた事実が認められないのみならず、前記第一において認定したとおり、被告人は、右倉庫を含め被告人の個人資産を、被告人会社の事業運営のため使用させることにより、同会社から、これが対価を受けることは全く念頭になかったことが認められる。従って、所論の如く右倉庫に関し一ケ月二五、〇〇〇円の賃料を、同会社から被告人に支払うべきであるとすることは、当該当時者の意思にそわないところであって、このことは、被告人会社が被告人の妻に対しては、その所有にかかる建物の使用について資料を支払っている事実(被告人の昭和三六年五月四日付検察官に対する供述調書参照)に徴しても明らかである。所論倉庫が、被告人会社の事業運営上、必要な設備であり、通常の場合、一般管理費として、その費用が支出されるものであることの故を以て、当該当事者間に何らの特約がないにもかかわらず、当然その賃料が被告人会社から被告人に対し支払われるべきであるとなす所論には、とうてい賛同できない。

第三  所論は、原判決が、その「弁護人の主張に対する判断」の項一の(六)において、被告人が、原判示の実用新案権、意匠権、商標権を有し、被告人会社が右諸権利を実施して営業成績を挙げており、然も昭和三〇年四月頃、被告人会社の応接室において、当時同会社の代表取締役であった被告人から、当時、同会社の代表取締役であった山田和好、取締役であった久世武雄に対し、自己の有する右の実用新案権等に関する実施料を支払って欲しい旨の申出があり、右の山田和好、久世武雄の両名において、これを諒承した事実を認めながら、

(1)  右実施料の支払について具体的な取決めがなされていないこと(その金額は、被告人会社の売上高の五ないし一〇パーセントとし、その範囲で、支払時期、支払方法を被告人に一任するというもので、どの権利につき、幾らという取決めはない)、

(2)  右実施料の支払について、被告人会社の帳簿上に記載がないこと、

(3)  右実施料は、被告人会社の正規の株主総会あるいは取締役会等の議題となって、その結果決定されたものではないこと、

(4)  右の取決めに関して、証書その他物的な資料が全くないこと、

(5)  本件起訴にかかる法人税逋脱の対象となった最後の時点である昭和三四年三月二〇日までに登録になった無体財産権は、実用新案権一件、商標権二件に過ぎないこと。

(6)  弁護人主張の計算によれば、同時期における実施料額は相当多額に上り(少くとも第三期事業年度において二、〇五一、九九四円、第四期において三、六六四、一五二円、第五期において七、四五八、七八一円)、これを裏操作で処理することは、常識からいっても納得できないこと。

(7)  被告人の検察官に対する各供述調書において、本件実施料の支払に関する供述が全くないこと。

以上の各事実を挙げて、被告人に対する右実用新案権等に関する実施料支払による損金を被告人会社に認容しなかったのは失当である。即ち

(イ)  右実用新案権等の実施料の支払について、被告人と被告人会社との間に、具体的取決めがなされていないとの原判決の認定は当らない。昭和三〇年四月頃、被告人会社の役員間で、被告人が右実施料として、売上の五ないし一〇パーセントを取得するものとし、その時期及び方法は、被告人会社の代表取締役である被告人に一任することが、はっきり具体的に決められていたのであり、

(ロ)  右実施料の支払について、被告人会社の帳簿上に記載がないことは、原判決認定のとおりであるが、右実施料を支払う資金があり、それ故に、被告人は架空名義の預金にしていたのであって、帳簿上に記載がないことにより、右の支払がないことになるというのは意味がなく、

(ハ)  原判決は、右実施料が、正規の株主総会あるいは取締役会により決定されたものではないというが、右実施料の支払は株主総会における決議事項でないし、被告人会社の取締役には前記のとおり承認を得たことであって、この点に関する原判決説示の非難は当らないというべく、

(ニ)  原判決は、右実施料支払の取決めについて、証書その他の物的資料がないというけれども、原判決自身、右実施料の支払を、被告人会社の全取締役が承認したことを認定しながら、それ以上に証書等が必要であるというのは矛盾しており、

(ホ)  原判決は、本件起訴の対象となった事業年度中に登録された無体財産権は実用新案権が一件、商標権が二件に過ぎないというが、その他の諸権利も右事業年度に出願がなされており、実際に、それらの考案が被告人会社の事業に使用されて役立っていたのであるから、同出願中の考案といえども、これが、実施料を生むべきものとして扱われることは、何ら不当ではなく、また個々の権利について、それぞれに実施料額を定めることなく、右各権利の全体を一括して、これが実施料を定めても一同差支えがなく、登録された権利の個数は、実施料額を定めるにつき、関係がなく、

(ヘ)  原判決は、弁護人主張の多額の右実施料が、裏操作で処理されるということは常識から考えて納得できない、というが、裏操作をしたことは、事柄の本質に何ら影響をも及ぼすものではなく、

(ト)  原判決は、被告人の検察官に対する各供述調書において、右実施料の支払に関する供述は全くなされていないというが、原審公判調書中証人田中芳郎の供述記載によれば、国税査察官である同人の取調べを受けた際、同人に対し、被告人会社が被告人に対し右実施料を支払っている旨主張していることが認められるのであって、被告人は国税局、検察庁におけるそれぞれの調査、取調べの段階で、右実施料の点について主張したのであるが、当該取調官から、一方的に右主張を押えられて、同取調官らに、右主張を真面目に取上げられなかったに過ぎないのであり、

これを要するに、原判決が、被告人に対する未払実施料を否定するために列挙した理由は、いずれも合理性に乏しく、被告人会社において、前記実用新案権等が事業に寄与した事業を全く無視し、被告人の権利を不当に否定するものであって、とうてい承服し難く、また被告人会社としては、収益を挙げ得たことに要した合理的な範囲内の相当経費を負担すべきであって、法人所得の計算上、右未払実施料は損金として認容さるべきである、と主張する(控訴趣意第一点、(四)参照)。

そこで、記録を調べ、当審においてなした事実取調べの結果を参酌して検討すると、原判決の挙示する証拠によれば、被告人が原判示の実用新案権等の無体財産権を有し、被告人会社が原判示の如く右無体財産権を実施して営業成績を挙げていること、昭和三〇年四月頃、被告人会社の応接室において、当時同会社の代表取締役であった被告人から、当時同会社の代表取締役であった山田和好、取締役であった久世武雄に対し、被告人の有する前記実用新案権等の無体財産権の実施料を払って欲しい旨の申出があり、右山田、久世の両名において、これを諒承したことの各事実の外に、原判決が説示している所論摘録の如き(1)ないし(6)の各事実を認めることができる(原判決が説示している所論摘録の(7)の事実、即ち、被告人の検察官に対する各供述調書において、本件実施料の支払に関する供述が全くない旨の認定事実については、当審において、検察官からの請求により、証拠として取り調べられた被告人の検察官に対する昭和三六年五月一七日付供述調書中被告人の供述記載により、被告人が当該検察官から取調べを受けた際、同検察官に対し、本件実施料の支払につき、被告人と被告人会社との間に諒解があった旨供述したことが認められるので、現在においては維持できない)。そして右各事実は、これを個別に取り上げれば、それ自体が、原判決の「弁護人の主張に対する判断」の項一の(六)における結論に関し、決め手となるものでないことは、所論のとおりであるが、これを全体として総合的に考察し、特に被告人と当時の被告人会社の役員との間における本件実施料についての話合で、同実施料を、漠然と被告人会社の売上高の五ないし一〇パーセントとしたに止まり、明確にその割合を定めていないこと、さらに収税官吏作成の被告人に対する質問てんまつ書(原審において弁護人が証拠とすることに同意したもの)中・被告人の供述として、被告人が、本件実用新案権等の特許を取ること等に要した経費は、これを全部被告人会社において支出し、同支出に関しては、被告人会社備付の正規な帳簿にも計上されており、従って前各同権利に関する登録は発案者である被告人の名義により、一応なされているが、同各権利は、実質的には、被告人会社に帰属するものである旨記載が存することに徴すると、本件実施料の支払に関する、被告人と当時の被告人会社の役員との間における前記の話合は、被告人が右実施料の支払方につき、その希望を表明し、右役員において、被告人の該希望に対し賛意を表したに止まり、実だ右実施料の支払に関し、明確な契約あるいは取決め等が成立するまでに至らなかったものと認めるのが相当である。そしてかような契約あるいは取決め等が成立していない限り、被告人会社において、当然に、被告人に対し、右実施料を支払うべき債務を負担すべき筋合がなく、原判決が、結局これと同趣旨の下に、所論実施料を被告人会社の損金として認容しなかったのは、当然といわなければならない。

第四  所論は、原判決が、その「弁護人の主張に対する判断」の項一、の(一)、(二)、(三)、(四)において、被告人会社が昭和二九年四月一四日設立されるに際し、被告人から、被告人会社の資産のうちに持ち込まれた分は、それより以前に被告人が個人経営していた当時の被告人個人所有の現金は三、〇〇〇、〇〇〇円であり、また被告人個人の貸付金で被告人会社設立後に回収された金員は二、五五〇、〇〇〇円、被告人個人の売掛金で被告人会社設立後回収された金員は一〇、八三三、一一〇円、被告人個人所有の商品は総額九、六八八、〇〇〇円であると認定したが、同認定の基礎となった被告人の検察官に対する各供述調書は、被告人の本件に関し、取調べに当った国税当局の係官が何の根拠もないのに、被告人の主張を取り上げず、一方的に右の各金額を押しつけ、これを、検察官において、あたかも被告人の記憶に基づくものであるかの如く記載して作成されたものに過ぎない。従って、右各供述調書に基づく原判決の右各認定は不当であり、被告人会社に持ち込まれた被告人個人の資産は、現金六、四五一、〇〇五円、貸付金三、〇八〇、〇〇〇円、売掛金一三、三八三、四三三円、商品一四、六二四、〇四〇円が正しいと主張する(控訴趣意第一点、(五)参照)。

そこで、記録を調べて検討すると、原判決が、その関連証拠を精査し、取捨選択したうえ、被告人会社に持ち込まれた被告人個人の資産として認定した現金、回収された貸付金、回収された売掛金、商品の各金額は、回収された個人貸付金を二、五五〇、〇〇〇円としたのが、さきに説明した如く誤算で、二、四六〇、〇〇〇円とするのが正しい外は、いずれも正当として是認するに足り、殊に被告人の検察官に対する所論の各供述調書が、それぞれ、所論の如き事情の下に作成されたことを肯認し得る証左がなく、その他同供述調書に基づき所論の原判示各金員を認定したからとて、原判決の該措置に、何ら不当の点があることを発見しないから、本所論も当らない。

第五  所論は、本来企業法人が他から資産を導入した場合には、借受金として、これに対し利息を支払うのが当然であるが、本件にあっては、被告人会社に持ち込まれた被告人の個人資産に対し、利息を支払わぬことにより、即ち被告人の犠牲において、被告人会社の所得が増加しているのであり、かかる異常な事態は許さるべきでなく、被告人会社は、当然被告人の持ち込んだ個人資産に対し、通常行なわれている最低の商事法定利率年六分の割合による利息金を支払うべきであるにもかかわらず、右利息を認容せず、被告人会社に対し、同会社が、被告人に対し支払うべき右利息金相当額の損金の計上を認めなかった原判決は、法人経理の原則もしくは法人所得に関する法令上の解釈を誤り、ひいて事実を誤認するに至ったものである、と主張する(控訴趣意第一点、(六)参照)。

然しながら、前記第一において認定したとおり、被告人会社は、事実上、被告人の個人経営も同然であって、同会社の経営に関し、被告人は個人資産と会社資産とを区別することなく、被告人の個人資産を右会社が利用することに対し利息その他の代償を受けたこともなければ、そのような契約、その他の取決めをしたこともなく、被告人としては、そのようなことを考えたこともなかったのである。また前記第一において認定したとおり、被告人は被告人会社設立以後、個人として全く営業をしていなかったのであり、このように、被告人と被告人会社との間に、被告人会社において、被告人が被告人会社に持ち込んだ個人資産を、被告人会社の事業運営のため使用することにつき、これが対価を被告人に対し支払うべき特約もなく、また被告人は商人でなく、従って被告人会社との関係が、商人間のそれでない本件である以上、所論の如く、被告人会社が、被告人に対し、同人が被告人会社に持ち込んだ個人資産につき、当然に商事法定利率年六分の割合による利息金を支払うべき債務を負うと解すべきではなく、これにそわない見解に依拠する本所論も首肯できない。

前記の第一ないし第五において説明した如くであるので、原判決には、所論の如き事実誤認の点がなく、本論旨は、採用できない(もっとも、職権で調べると、原判決添付の別表(二)の昭和三二年三月三一日現在の貸借対照表の記載中、(10)個人貸付金仮受認容として、二、五五〇、〇〇〇円とあるのは、さきに説明した如く二、四六〇、〇〇〇円の誤算であり、(15)仮空支払手形否認として四、一一四、二八一円とあるのは、四、一一四、二三一円の誤記であることが明らかであって、その限度で、(17)繰越利益金、右別表(二)の中の昭和三三年三月二〇日現在の貸借対照表の記載中、(18)繰越利益金、(19)当期利益金、右別表(二)の中の昭和三四年三月二〇日現在の貸借対照表の記載中、(27)繰越利益金、(28)当期利益金、従って別表(三)の各法人税額の各金額に些少の異動が生じて来るけれども、この程度の誤差は、未だ判決に影響を及ぼすものではない)。

控訴趣意第二点、量刑不当の論旨について。

所論は、要するに仮に控訴趣意第一点の主張が理由がないとしても、被告人は、被告人会社のため刻苦精励の結果、生産性の向上に寄与した功績は、これを否定し得ず、その多大の自己犠牲の下に、企業に対し大きく肯献したものであり、本件後、改悛の情が顕著で、修正申告による税金も完納し、被告人会社の経理も整備したから、再び同種犯行を繰り返す恐れがなく、殊に被告人は、本件の係属により、既に長く「被告人の座にあって、十分な社会的制裁を受けており、一日も早く社会復帰の要があるものであり、また被告人会社としては、その資本金六、〇〇〇、〇〇〇円の二分の一に近い二、八〇〇、〇〇〇円という多額の罰金が、今後の事業遂行上容易ならぬ圧迫を加えるものであること等の諸点に鑑みると、被告人及び被告人会社に対する原判決の各量刑は重きに失し不当である、というのである。

そこで記録を調べ、当審においてなした事実取調べの結果を斟酌して検討し、これらに現われている被告人及び被告人会社に対する各量刑に影響する各事情、殊に、本件逋脱行為が、長期にわたり、その逋脱額も巨額に達すること、本件各犯行の態様も計画的で、巧妙であること等の情状に鑑みると、原判決の被告人及び被告人会社に対する各量刑は、いずれも相当として、是認されるところであり、所論指摘の被告人及び被告人会社に対する各事情を考慮に容れても、未だ被告人及び被告人会社に対する右各刑を、それぞれ減軽する事由とするに足りない。従って本論旨もまた採用できない。

上来説明のとおりであるので、本件各控訴は、それぞれいずれの観点からしても、その理由がないので、各刑訴法三九六条により、これを棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人両名に平等に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上田孝造 裁判官 斉藤寿 裁判官 藤本忠雄)

昭和四四年(ウ)第三四号

控訴趣意書

被告人 株式会社 かんぜん

被告人 棚橋富夫

右被告人らに対する法人税法違反被告事件について弁護人は、左の通り控訴の理由を提出する。

昭和四十四年四月二十五日

右弁護人 石原金三

名古屋高等裁判所

刑事第一部 御中

第一点 判決に影響を及ぼすべき事実誤認

原判決は被告人株式会社かんぜん(以下被告人会社という)の

自昭和三二年四月一日、至同三三年三月二〇日の事業年度の法人所得金額を八〇八万五七八四円

自昭和三三年三月二一日、至同三四年三月二〇日の事業年度の法人所得金額を一八一〇万六〇五一円

と各認定し、これに基いて法人税逋脱金額をそれぞれ確定しているが右認定数額は検察官公訴にかる数額と全く同一であり、重大な事実の誤認を犯している。

以下、その理由を掲記する。

(一) 原判決中「弁護人の主張に対する判断」の項において原判決は、その(二)個人貸付金仮受金額二二五万円およびその(三)個人売掛金仮受金額九七二万四八五円(原判決別表(一)逋脱所得貸借対照表、昭和三二年三月三一日現在の分)をそれぞれ変更し、個人貸付金仮受二五五万円、個人売掛金仮受一〇八三万三一一〇円と各増額認定したことが明らかである。

しかし右変動はその貸借対照表を対比してみれば繰越利益金が、右増加分だけ減少したのみであって、その余の数額には何らの変動を及ぼさないとする。

このことは、それ自体から、又原判決中(五)個人預金利息仮受についての説示部分で明らかだが被告人棚橋富夫(以下被告人という)個人の貸付金、売掛金の一部が被告人会社設立後回収され、被告人会社の資産中に混入されたので右回収後発生した預金利息を認めるべしとする弁護人の主張を排斥し、原判決は、結局被告人個人の貸付金、売掛金等の回収後の預金利息を認めなかったわけである。これは全く是認し得ない。原判決は右説示部分において「入金時の事情を考えると、被告人が被告人会社設立後個人として営業をしていたという形跡もないこと、各預金の入出金状況などから右記載の貸付金、売掛金の回収後、右金員はただちに被告人会社の運用に委されていたと認められ、かっこの運用を委ねた原因(たとえば消費貸借契約)は、全く不明であるから被告人が被告人会社の代表者もしくは代表者でなくとも、その経営の専権者であり、被告人会社はむしろ被告人の個人企業に類するともいえる実情であったことを考えれば、これらの貸付金あるいは売掛金回収後の預金利息は、一応被告人個人に帰属しないものとみるのが事理の真相に合すると思われる。」としているが右は個人と法人とを同一視する議論であり、法人税が一期間の総益金、総損金を厳密に計上され、課税は、公平明瞭確実且つ普遍であるべき根本的原則を否定した暴論といわなければならない。

法人は一定の資本を元手として事業を営むものであり、資本以外の元手はあり得ない。更に事業に必要な元手はこれを借受けるか贈与を受けるか若しくは、これらの拡張再生産されたものであって、何らの原因なしに事業の元手となるものはない。被告人会社が設立せられた際、被告人の預金、現金、不動産、動産が被告人会社の事業に使用されたのは、被告人会社がこれを借入れたのであって、全証拠をもってするも被告人から被告人会社に対し、これらが贈与されたものと認めることは到底できない。(被告人の第二八回、第二九回公判における供述)

そのために国税当局においても、右借受けは、被告人会社における棚橋富夫仮受勘定として、会社資産との区別をしたのは当然であり発生利息についていえば、当初の被告人個人の仮受の預金一九三四万八八二一円に対しては、各年これを確定し認容しているのであるから、個人貸付金、売掛金についても同様であるべく被告人会社設立後、これが回収され、被告人会社の資産(裏預金)と混在するに至った(原判決もこれを認めている)場合、発生利息を被告人個人に帰属せしめるのは、自明のことであり、その元本のみが、被告人に帰属し、その果実たる発生利息は被告人会社に帰属するというが如き不合理且つ矛盾のある結論は到底肯認し得ないわけである。

(二) ところで貸付金、売掛金回収後の発生利息は、被告人の第二九回公判における供述によって認められる昭和三九年一〇月一五日付弁護人石原金三作成陳述書(二)の別表(一の一)及び別表(一の二)(記録一七一三丁)のとおりであって、

売掛金回収後の利息は

昭和三二年三月三一日現在 二一〇万六一四二円

同 三三年三月二〇日現在 二三九万八〇三四円

同 三四年三月二〇日現在 三四五万一九六〇円

貸付金回収後の利息は

昭和三二年三月三一日現在 三九万八九二〇円

同 三三年三月二〇日現在 四九万六四八一円

同 三四年三月二〇日現在 七二万一八六一円

となる。(銀行照会回答書、株式会社東海銀行同三和銀行各岐阜支店作成参照)

右貸付金、売掛金各回収後の預金利息は国税当局においては、これを認容していたのを検事が否認したことになっている。(被告人の前供述並に竹内弥吉の証言告発書)しかし前記(一)で詳述した通り、右発生利息は被告人個人に帰属すること明らかであり数額の根拠も明確であるから、これを認容しない原判決は法令の解釈を誤ったか若しくは審理不尽に基く重大な事実誤認あるものである。

(三) 原判決が被告人に対する未払倉庫料を否定したのは、相当でない。原判決は被告人会社が被告人所有の倉庫一棟を事業の用に借用使用している事実を認めながら「被告人と被告人会社との間において右建物に関して賃貸借契約がなされており、この賃料についての取決めがあったという形跡が認められないから本件対象時期において弁護人主張の賃料相当額を被告人会社から、被告人個人に支払われるべきものとして計上することはできない。」としているが、被告人会社の本件倉庫の使用は法人が所得を得るために要する設備の使用であって費用収益対応の原則に基く個別対応の原価ではないが期間中の一般管理費として費用を要するものである。被告人と被告人会社間には、被告人が被告人会社の代表取締役であった関係上明示の賃貸借契約はなかったが、被告人としては、これを無償で使用させる意思表示をしたこともない。専ら被告人会社の収益を得るために使用させたものでかかる倉庫の賃貸料の如きは、当事者の意志にかかわらず客観的に妥当な金額が確定できるのであり、法人に所得のある場合(欠損のときはとにかくとして)は妥当な金額によって清算すべきものとすることは全く当事者の真意に合致し且つ合理的である。国税当局においても、被告人が主張した一ケ月金二万五〇〇〇円の賃料相当額を必要経費の計上洩れであることを認めたがこれは当然のことである。若し原判決の如く解するとすれば契約さえあれば、きわめて不相当に多額の賃料でもこれを認容すべきであるが課税する側においては、これを過大経費として否認し妥当額までしか認容しないはずである。課税の公平、普遍の原則からいえば、このことを是認すべく原判決の見解は不当である。

従って本件二事業年度において、少なくとも各年金三〇万円の倉庫料を未払として損金に計上しなければならない。

(四) 原判決が被告人に対する未払実施料を否定したのは相当でない。未払実施料につき昭和四三年五月 日付弁論要旨(七)に記載した証拠すなわち

(イ) 実用新案公報五通

意匠公報 六通

商標公報 二通

(ロ) 証人山田和好、同久世武雄、同内藤郁夫、同伊藤毅、同棚橋喜八郎、同竹内弥吉、同田中芳郎の各証言

(ハ) 被告人の昭和三六年五月一七日付検事調書

被告人の第二五回、第二八回、第二九回各公判における供述

を綜合すると、被告人が被告人会社から実施料を受取るべき権利あることは明らかである。

而して原判決が法人所得計算上右未払実施料を認めなかった理由に対しては次の通り反論することができる。

(1) 実施料の支払につき具体的取決めがなされていないとの点は当らない。昭和三〇年四月役員間において被告人が売上の五乃至一〇パーセントを取得するものとし、その時期及び方法は被告人会社代表である被告人に一任するとのことがはっきりしており、支払については何の支障もなく具体的に定まっていたわけである。

(2) 実施料の支払について被告人会社の帳簿上記載がないことは事実であるが、支払資金がありそれ故に被告人は架空名義預金にしていったのであって記載がないことが支払のないことになるというのは意味がない。

(3) 実施料が正規の株主総会あるいは取締役会により決定されたものでないというが株主総会における決議事項でないし取締役には前記の通り承認を得たことであって原判決の非難は当らない。

(4) 実施料支払の取決についての証書その他物的資料がないというが原判決自体、実施料の支払を全取締役が承認したことを認定しているので、それ以上証書等が必要であるというのは矛盾している。

(5) 逋脱の対象となった事業年度中に登録されたものは実用新案が一件、商標が二件にすぎないというが、すでに当該事業年度には出願がなされており(各公報参照)実際には、それら考案が事業に適用せられ役立っていたことは、被告人の供述(前掲公判廷における供述)と出願時期を勘案して認められるところであり、出願中の考案が実施料を生むべきことが不当でないことは、証人伊藤毅の証言で優にこれを認められる。

又、個々の権利につき実施料額が定められていなくても、これを全体的に定めて差支えなく、登録された権利の個数は関係がないことである。

(6) 弁護人主張の多額の実施料額が裏操作で処理されることは、常識的にいって納得できないというが裏操作をしたことは事柄の本質に何らの影響をも及ぼすものでない。

(7) 被告人の検察官に対する供述調書において実施料の支払に関する供述は、全くないというが昭和三六年五月一七日付検事調書には実施料に関する多くの供述があり、証人田中芳郎の証言によれば実施料を被告人会社が支払ったとする主張をしていることが認められ、被告人の前記供述によってみるに実施料の点は調査取調の段階で強く一方的に主張を押えられ、まじめに取上げられなかったに過ぎない。

以上原判決が未払実施料を否定するため列挙した理由は、いずれも、合理性に乏しく、被告人会社において実用新案等が事業に寄与した事実(証人棚橋喜八郎の証言)を全く無視し、被告人の権利を不当に認めない等の大きな欠陥があり、到底是認せられない。

被告人会社としては収益を挙げ得たための合理的相当の経費を負担すべきであって法人所得の計算上、本件未払実施料の存在(損金)を認容しなければならぬものである。

従って原審において、昭和四二年九月一九日付陳述書(六)記載の実施料についての主張は数額的にみても妥当であり、被告人及び被告人会社にとって異議のないところであるから

自昭和三二年三月二日至同三三年三月二〇日事業年度は

金 三六六万四一五二円

自昭和三三年三月二一日至同三四年三月二〇日事業年度は

金 七四五万八七八一円

を右各期の未払実施料とすべきである。

(五) 既述の通り、原判決は弁護人主張のうち個人貸付金仮受及び個人売掛金仮受について弁護人主張金額の一部を証拠によって肯認し、その範囲においては、弁護人主張の正当性が実証された。

この事実は換言すれば、国税当局並に検察当局の調査の不正確性を暴露したもので特に検察官が国税当局で認容した個人貸付金、同売掛金回収後発生した預金利息、及び未払倉庫料を黙殺し、否定した如きは検察官の独断であって、これに追随した原判決の不当は明白である。

弁護人は原審において、被告人が被告人会社に対し持込んだ資産を峻別すべきことを強調し

現金仮受 六四五万一〇〇五円

貸付金仮受 三〇八万円

売掛金仮受 一三三八万三四三三円

商品仮受 一四六二万四〇四〇円

と主張した。(個人預金、預金利息及び旅費の各仮受は主張通り認容された。)右各金額は商品を除いてすべて銀行預金並びにその受入事実及び経理経過(銀行照会回答書)に基き、計上したもので十分の根拠を有するのであり、これに反し、例えば現金仮受を三〇〇万円としたことは、被告人が供述しているように国税当局において何ら然るべき根拠がないのに、その位しか認められないと強制し、これを被告人の記憶に基くものの如く認めさせたのであり(これが検事調書となった)在庫商品仮受についても国税当局は被告人の主張額を二分の一しか認めないと押付ける等、課税の正確さを疑うべき経過が見られる。(被告人の前記公判における供述)かかる徴税態度を納得することはできない。

(六) 被告人の持込み資産が変動しても、繰越利益の変動をもたらすのみで、本件事業年度における所得は何等変更をみないとするのは結局持込み資産に対する利息を認容しなかった結果であって(本件における預金利息は預金につき発生した利息で被告人会社が預金を借受けたことに対する利息ではない。)本来企業法人がこのような資産を導入した場合は借受金に対して利息を支払うべきであり、本件ではその利息を支払わぬ(被告人の犠牲において)ことによって、所得が増大している。このことは特異な事例であって、法人税の課税に当っては、厳密、且つ公平にその益金及び損金を通常経理の方法によって算定すべく、いやしくも国家権力によって犠牲を強いて不当な徴税となることは厳に避くべきであるから、本件においては被告人の持込み資産に対しては通常行われる最低の商事法定利率年六分の割合の利息を支払うのが至当である。しかるにこと、ここに出でなかった原判決は法人経理の原則若しくは法人所得に関する法令上の解釈を誤りひいて事実を誤認するに至ったものといわざるを得ない。

第二点 量刑不当

原判決が被告人らに言渡した刑の量定は著しく重く不当である。被告人棚橋富夫は、原判決事実摘示にあらわれた架空支入若しくは、売上除外の方法により、被告人会社二期の法人税逋脱の責任あるものであるが、被告人はまさに刻苦精励型の人間で、生産性の向上に寄与した一面を否定し得ず、前記第一点の主張が肯認せられればその逋脱額はいちじるしく減少するのであり、仮にその理由なしとする場合は多大の自己犠牲の下に企業に対し大きく貢献した点あるものというべく、その情状酌量すべき余地が大である。

犯行後は改悛の情顕著で修正申告による税金も完納せしめ会社経理を整備して再び同種犯行を繰返すおそれはない。(以上被告人の第二八回公判における供述その他全証拠)

被告人棚橋はすでに長期間「被告人」の身分として社会的制裁を受けており、一日も早く社会復帰の必要あるものであり、又被告人会社にとっては資本金六〇〇万円の二分の一に近い二八〇万円の多額の罰金は、今後の事業遂行上容易ならぬ圧迫を加えるものであって、税金を完納した小会社として将来の発展に対する配慮も考慮せられなければならない。

以上の各点に鑑み原判決は、これを破棄し、更に相当の御判決を仰ぎたく控訴に及んだ次第である。

以上

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